うつ病で苦しんでいる方へ②
ポンコツ柔整師ふっきーです!
前回の続きを書いていきます。
7年間勤めた接骨院をクビになり3ヶ月くらい無職をやりました。
この3ヶ月でこれからの自分の将来をしっかり考える事にしました。
結婚…接骨院の開業…。スポーツトレーナーの仕事…。
色々と考えました。
そして、あと2年間どこか違う接骨院で働いて自分の店を開こうと思いました。
そして接骨院の学校に通っていた時の開業している先輩にお願いして働かせていただく事になりました。
それが今の職場になります。
結局2年を過ぎて今も働いてるのには理由がありまして…。
それは後ほどお話しします。
前の接骨院は忙しく一人一人の患者さんと向き合う時間もあまりなく、ただ人数をこなしているだけという感じでした。
でも新しい職場では開業して1年半しかまだ経っていないのもあってヒマでした。
一人一人の患者さんとじっくり向き合えている感じがありました。
「患者さんに寄り添って治癒の過程を一緒に踏んでいる。」
という感覚があり、すごくやりがいを感じていました。
自分が開業してもこういう接骨院にしたいと思いました。
接骨院の売り上げも順調に伸びていき、順調にいっていました。
それから1年半程経った時でした。
院長から
「もうすぐお前が働き始めて2年経つけど、やっぱり開業の意思はかたまっているのか?
もしお前がよければ、このまま続けて働いてくれないか?
給料も今より上げる。
あと新しい店舗を作っているからここをお前に引き継いでやってもらいたい。」
という話をされました。
新しい店舗が軌道に乗ったら僕に店の権利も売り上げも設備も全部いただけるという話でした。
嬉しかったです。
何より僕の頑張りを認めてくれた事。
必要としてくれる事が本当に嬉しかった。
願ってもない話だったのですが、かなり迷いました。
自分で0から接骨院を作りあげたいという思いも強くありました。
色んな方に相談をしたり、自分でもかなりかんがえましたが、僕はその話にYESと答えました。
それから半年後、給料も上げていただき以前の給料の倍額をいただける事になりました。
そして車も買っていただける事になりました。
今までの苦労が花開いたと思いました。
頑張りを認めてもらえる環境。
それから今まで以上の頑張りで院長の期待に応えようとしました。
今まで以上の来院数をださないと!
今まで以上の売り上げをださないと!
自分にプレッシャーをかなりかけながら仕事をしていました。
その頃から朝寝ていたいのに早く起きてしまう早朝覚醒の症状がでていました。
そして接骨院の昼休みの時間も今まで1時間程昼寝をしていたのですが、眠れなくなってしまいました。
どんどん自分の体調が悪くなっていくのを感じました。
それから2ヶ月程経ち、僕の体調と比例するかのように患者さんの来院数と売り上げも落ちていきました…。
今回はここまでで!
長い文章を読んでいただいた方ありがとうございました。
うつ病で苦しんでいる方へ①
ポンコツ柔整師ふっきーです。
今回は僕が5年前に患ったうつ病について書いていこうと思います。
僕がうつ病になった経緯や体験、症状、今普通の生活が送れるようになるまでを書いていこうと思います。
長くなってしまうと思います。
なので何回かに分けて書いていこうと思います。
今、うつ病で苦しんでみえる方に少しでも参考になったり励みになってくれたらいいなと思い書かせていただきます。
僕がうつ病を患ったのは今から約5年前でした。
僕はもうすぐ32歳になるので、27歳の秋くらいでした。
少し前置きが長くなりますが、僕の昔の話を書かせてください。
僕は高校でラグビーをやっておりました。当時ラグビーでは、かなりケガで苦しめられました。
骨折…脱臼…捻挫…打撲…。
書ききれないくらいのケガをしました。
特に肩の脱臼は繰り返しの脱臼で習慣性脱臼といって、日常生活でも簡単に脱臼をする事が多く、ランニング中に腕を振った時に脱臼したり、夜寝ている時に寝返りをうった時に脱臼したりしてしまい夜中に病院に運びこまれたり、かなり脱臼には悩まされました…。
当時ラグビー部のスポーツトレーナーとして来てくださっていた接骨院の先生に大変お世話になりました。
高校の時に肩の再脱臼を防止する手術に踏み込めたのも、この先生のおかげでした。
この人のような仕事に就いて
「自分のようなケガで困っている人を助けてあげたい!」
「ケガでスポーツをあきらめてしまう人を一人でも減らしたい!」
そういう思いがあって高校を卒業してから、その先生の接骨院で働きながら接骨院の学校に通いました。
午前中に接骨院で働き、昼休みに学校に通い、夜また接骨院で働き、接骨院が終わったら勉強して、休みは母校のラグビー部にトレーナーに行くというハードな生活を送っていました。
当時休日は本当になかったです。
そんな生活を3年間送り資格も無事取得して学校を卒業できました。
ただその後4年間勤め25歳になる時に先生と喧嘩別れをする形でクビになりました。
先生は一緒に仕事を頑張ってやっていこうというタイプではなく、自分の思うように僕が動かない、仕事ができないと、嫌がらせや無視をする方でした。
僕も7年間そうなるよう努力をしてきたのですが最後の時は、どうしても我慢できず先生に感情を表に出して意見をしたらクビになってしまいました。
クビになる1年くらい前から強迫性障害が強く出ていました。
鍵を閉めるのを何回も確認したり、火の元が気になりコンロのスイッチが消えてるか何回も確認したり、タバコの火が消えたかを何回も確認したり水をかけたり…。
家を出るのがたいへんでした…。
ただその時は強迫性障害という医学でいうところの精神疾患という事を知りもしないで、自分がおかしいという認知もありませんでした。
ちょっと長くなってしまったので続きは次のブログで書こうと思います。
長い文章を読んでいただいた方、本当にありがとうございます(^^)